出雲国風土記・現代語訳:飯石郡

現代語訳

通道(かよいぢ)。

大原郡(おおはらぐん)の堺の斐伊河(ひいかわ)のほとりに行く道は、二十九里一百八十歩である。

仁多郡(にた)の堺の温泉河(ゆかわ)のほとりに行く道は、二十二里である。

神門郡の堺の与曽紀村(よそき)に行く道は、二十八里六十歩である。

同郡の堺の掘坂山(ほりさか)に行く道は、二十一里である。備後国恵宗郡(びんごのくにえそぐん)の堺の荒鹿坂(あらか)に行く道は、三十九里二百歩である。〔径(みち)に常に剗(せき)がある。〕

三次郡(みよし)の堺の三坂(みさか)に行く道は、八十一里である。〔後に常に剗(せき)がある。〕

波多径(はたのこみち)、須佐径(すさ)、志都美径(しつみ)、以上の三径は普段は剗(せき)はない。ただし政治的事情があるときに権(かり)に置くのみ。いずれも備後国に通じる。

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原文

通道

通大原郡堺斐伊河邊二十九里一百八十歩。

通仁多郡堺温泉川邊二十二里。

通神門郡堺與會紀村卅八里六十歩。

通同郡堀坂山卅一里。

通備後國恵宗郡堺荒鹿坂卅九里二百歩。〔徑、常有剗。〕

通備後國三次郡堺三坂八十一里。〔徑、常有剗。〕

波多々徑・須佐徑・志都美徑、以上三徑、常无剗。但當有政時、権置耳。並通備後國也。

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