出雲国風土記・現代語訳:楯縫郡条の神話

楯縫郡条に登場する神話をまとめました。

ここでまとめているのは神話(神が何かをした話)であり、内容は意訳となっています。


楯縫(たてぬい)の由来


神魂命(かみむすひ)が「私の天日栖宮(あめのひすみのみや)は十分に足り整っている。縦横の規模が千尋もある長い拷紲(たくなわ)を使い、桁梁(けたはり)を何度も何度もしっかり結び、たくさん結び下げて作ってある」と言って天御鳥命(あめのみとり)を楯部として天下らせた。その天御鳥命が大神の宮の御装束としての楯を造り始めなのが此処であり、今に至るまで楯や桙を造って神々に奉っている。そのため楯縫という。

対応箇所:楯縫郡の総記

佐香郷(さかごう)の由来


佐香の河内に百八十神(ももやそのかみ)たちが集まって御厨(みくりや)を建て、酒を醸造させて180日にわたって酒盛りをした後に解散したので佐香という。

対応箇所:楯縫郡の郷

玖潭郷(くたみごう)の由来


所造天下大神命(大穴持命)が天御飯田(あめのみいいだ)の御倉を造るための場所を求めていたときに「はやさめくたみの山」と言ったので忽美(玖潭)という。

対応箇所:楯縫郡の郷

沼田郷(ぬたごう)の由来


宇乃治比古命(うのぢひこ)が「湿地(爾多)の水で乾飯(かれいい)をふやかして食べることとしよう」と言ったので爾多と名を負わせることになった。そのため爾多郷と呼ばれるべきなのだが、今日はただ努多(沼田)と呼ばれているのである。

対応箇所:楯縫郡の郷

神名樋山(かんなびやま)の由来


古老が伝えて言うには、阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこ)の后の天御梶日女命(あめのみかじひめ)が多宮村にて多伎都比古命(たきつひこ)を産んだ。そのとき お腹の子供に「汝の母が御祖の向位に生もうと思うが、ここがちょうどよい」と言ったという。いわゆる石神は これこそ多伎都比古命の御魂であり、日照りのときに雨乞いをすると必ず雨を降らせれくれる。

対応箇所:楯縫郡の山野