出雲国風土記・現代語訳:出雲郡条の神話

出雲郡条に登場する神話をまとめました。

ここでまとめているのは神話(神が何かをした話)であり、内容は意訳となっています。


出雲(いずも)の由来


出雲と名付けるわけは、八束水臣津野命(やつかみずおみづぬ)が「八雲立つ」と言ったため八雲立つ出雲という。

対応箇所:出雲国総記

健部郷(たけるべごう)の由来


宇夜都弁命(うやつべ)が この里にある山の峰に天下り、この神の社が今に至るまで此処に鎮座しているので宇夜里(うやのさと)と名付けられた。

後に景行天皇が「私の御子の倭健命(やまとたける)の御名を忘れまい」と言って神門臣古彌(かんどのおみこみ)を健部に定め、健部臣たちが古くから今までずっと此処に住んでいる。だから改めて健部と名付けられた。

対応箇所:出雲郡の郷

杵築郷(きづきごう)の由来


八束水臣津野命(やつかみずおみづぬ)が国引きをした後に所造天下大神(大穴持命)の宮を造ろうとして、諸神たちが宮の場所に集まり宮を築いた。だから寸付(杵築)という。

対応箇所:出雲郡の郷

美談郷(みたみごう)の由来


所造天下大神(大穴持命)の御子・和加布都努志命(わかふつぬし)が、天と地が初めて分かれた後に天御領田(あめのみた)の長として仕えた。その神が郷の中に鎮座しており、御田(みた)を見る神の意で三太三(美談)という。

対応箇所:出雲郡の郷

宇賀郷(うかごう)の由来


所造天下大神(大穴持命)が、神魂命の御子・綾門比女命(あやとひめ)に求婚したとき、女神は承諾せずに逃げ隠れた。そのときに大神がうかがい求めた所がこの郷である。だから宇加(宇賀)という。

脳磯(なづきのいそ)という磯は邑人が朝夕に往来している または 木の枝は人が引き寄せたかのようである。磯から西の方に6尺ばかりの窟戸(いわやど)があり、この窟の中に人は入ることができない。そのため奥行きの深さは不明である。夢でこの磯の窟のあたりに行くと必ず死ぬ。だから土地の人は古より今に至るまで黄泉(よみ)の坂、黄泉の穴と呼ばれている。

対応箇所:出雲郡の郷