出雲国風土記・現代語訳:仁多郡条の神話

仁多郡条に登場する神話をまとめました。

ここでまとめているのは神話(神が何かをした話)であり、内容は意訳となっています。


仁多(にた)の由来


所造天下大神(大穴持命)が「この国は大きくもなく小さくもない。川上は木の穂を差し交わし、川下は河志婆布(かわしばふ)が這いわたっており、湿地で小さな国である」と言ったので仁多という。

対応箇所:仁多郡の総記

三処郷(みところごう)の由来


大穴持命(おおなむち)が「この地の田は良い。だから、私の御地(みところ)として古くから治めてきた」と言ったので三処という。

対応箇所:仁多郡の郷

布勢郷(ふせごう)の由来


古老が伝えて言うには、大神命(おおかみ)が泊ったところなので布世(布勢)という。

対応箇所:仁多郡の郷

三澤郷(みざわごう)の由来


大穴持命(おおなむち)の御子・阿遅須伎高日子命(あじすきたかひこ)は、御須髭(みひげ)が八握(やつは)に生えるほどになっても昼夜問わず泣いているばかりで言葉が通じなかった。

そのとき、御祖命(大穴持命)が御子(阿遅須伎高日子命)を船に乗せて八十島(やそしま)を巡って心を楽しませようとしたが、それでも泣き止まなかった。そこで、大神(大穴持命)が夢で「御子が泣くわけをお教えください」と祈願したところ、その夢に言葉が通じるようになった御子の姿が現れた。

目覚めて御子に問いかけると御子が「御澤」と喋ったので、大神が「それはどこのことか?」と尋ねると、御子は御祖の前から立ち去って石川(石の多い川)を渡り、板の上に至って留まると「ここです」と言った。そのとき、そこの澤に水沼が出ていたので沐浴をした。

そのため、国造(こくそう)が神吉事(かんよごと)を奏上するために朝廷に参向するときは その水沼の水を初めに用いるのである。これによって今も産婦はその村の稲を食べない。もし食べると、生まれながらにして子はものを言う。なので三澤という。

対応箇所:仁多郡の郷

恋山(したいやま)の由来


古老が伝えて言うには、阿伊村(あいむら)にいる神である玉日女命(たまひめ)を恋い慕った和爾(わに)が川を上ってやってきた。そのときに玉日女命が石で川を塞いでしまったので、和爾は会うことができないまま恋い慕うことになった。なので恋山という。

対応箇所:仁多郡の山野