出雲国風土記・現代語訳:スサノオのヤマタノオロチ退治(古事記版)

『古事記』における出雲神話「スサノオのヤマタノオロチ退治」を紹介します。原文だと分かり辛いので、やや加筆修正しています。


スサノオのヤマタノオロチ退治(古事記版)


神々の時代、スサノオは天上の高天原(たかまがはら)で粗暴に振る舞い、数々の悪行を行いました。そのため、高天原を統治するアマテラスはスサノオを恐れ、天の岩戸の中に籠ってしまいました。すると、天上も地上も暗闇となり、朝が来ない永遠の夜がおとずれました。

天の神々は思考を凝らし、皆で協力してアマテラスを岩戸から引っ張り出しました。こうして、天上と地上に日の光が戻り、再び朝がおとずれるようになりました。八百万の神々は、スサノオに この罪をあがなわるために、罰を与えて高天原から追放しました。

追放されたスサノオは、根の国に向かう途中に出雲に降り立ち、肥河(ひかわ)の上流の鳥髪(とりかみ)にやって来ました。すると、河に箸が流れてきたので人が住んでいると思い、そこへ向かいました。

そこにはテナヅチとアシナヅチという老夫婦が住んでおり、娘のクシナダヒメを囲んで泣いていました。スサノオが泣いている理由をたずねると、アシナヅチはこう答えました。

「私達の娘は8人いました。ですが、高志(こし)から来たヤマタノオロチに毎年食べられてしまいました。今夜がヤマタノオロチが来るときです。それで泣いているのです。」

スサノオがヤマタノオロチについてたずねると、アシナヅチはこう答えました。

「ヤマタノオロチは、目はホオズキのように赤くて、体が一つで、頭が八つ、尻尾が八つです。ヒカゲノカズラやヒノキやスギが生えていて、その大きさは八つの谷と八つの峰に及んでいます。腹には常に血が滲んでいます。」

一通り話を聞いたスサノオは、「ヤマタノオロチを退治する代わりにクシナダヒメを妻として貰えないか?」と申し出ました。しかし、アシナヅチはスサノオの素性も聞かされていなかったため、戸惑いながらも その名をたずねました。

名をたずねられたスサノオは、「私はアマテラスの兄弟である。今、高天原より降り立ったところだ。」と答えました。それを聞いたテナヅチとアシナヅチは畏まって、スサノオに娘のクシナダヒメを差し出すことを決めました。

すると、スサノオはたちまちクシナダヒメを櫛に変えて、自分の角髪(みずら)に挿しました。そして、ヤマタノオロチを退治するために、テナヅチとアシナヅチにこう命じました。

「あなたがたは、何度も醸(かも)した酒を造り、次に垣根を作って中に八つの門を作りなさい。そして、門に桟敷を作り、そこに酒桶を置いて、濃い酒を注いで待っていなさい。」

テナヅチとアシナヅチは、命じられた通りに準備して待っていると、そこにヤマタノオロチが現れました。そして、ヤマタノオロチは酒桶に首を突っ込み、酒を飲み干して、そのまま眠ってしまいました。

スサノオはその隙を突いて、身に着けていた十拳剣(とつかのつるぎ)でヤマタノオロチを斬り刻み、肥河をその血で染めました。しかし、スサノオがヤマタノオロチの尾を斬ったとき、十拳剣の刃が欠けてしまいました。スサノオは怪しいと思って剣の先で尾を裂くと、中から都牟刈の大刀(つむがりのたち)が出てきました。

そして、その不思議な大刀を取り出し、高天原のアマテラスに奉りました。これが草那芸の大刀(くさなぎのたち)です。

こうしてヤマタノオロチを退治したスサノオは、宮殿を造るべき土地を出雲にすることを決めました。そして、須賀の地に辿り着いたときに「この地に来て、私の心は清々しくなった」と言って宮殿を造り始めました。

須賀に宮殿が建つと、この土地から雲が立ち上りました。それを見たスサノオは、そこで歌を作って歌いました。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を(やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを)」

下記の動画から、「スサノオのヤマタノオロチ退治」を音声付で見ることができます。ぜひご覧ください。


備考


出雲国風土記には具体的に登場しませんが、出雲神話の代表格として有名であり、神話の整合性を図る上で重要な意味合いを持ちます。

また、この神話は『古事記』の他にも『日本書紀』『先代旧事本紀』などに記されていますが、それぞれ設定が微妙に異なります。