意宇郡条:【二】 意宇郡の郷 - 2
現代語訳
余戸里(あまるべのさと)。:松江市東出雲町揖屋・上意東・下意東周辺を指す。後に築陽郷となる
郡家の正東六里二百六十歩の所にある。〔神亀四年の戸籍編成によって、一里を立てた。だから、余戸という。他郡の余戸もまた、これに同じ。〕
野城駅(のぎのうまや)。:安来市能義町周辺
郡家の正東二十里八十歩の所にある。野城大神(のぎのおおかみ)※1が鎮座していらっしゃるのによって、だから、野城という。
黒田駅(くろだのうまや)。:松江市大草町の出雲国府に隣接していたと考えられる
郡家と同所にある。郡家の西北二里に、黒田村※2がある。土地の色が黒い。だから、黒田という。もとは此処にこの駅があった。そこで名付けて黒田駅という。今は東に移されて郡家に付属している。今なお もとのまま黒田の名で呼んでいるのである。
宍道駅(ししぢのうまや)。:松江市宍道町佐々布北部とされる
郡家に正西三十里の所にある。〔名の説明は宍道郷に同じ。〕
出雲神戸(いずもかんべ)。:松江市大庭町神魂神社周辺を指す
郡家の南西二里二十歩(南西2里20歩)の所にある。伊弉奈枳(いざなぎ)の麻奈子(まなこ)、熊野加武呂乃命(くまのかむろ)※3と、五百鉏鋤(いおつすきすき)なお取り取らして所造天下大穴持命※4との二所の大神等にお寄せ申し上げる民戸である。だから、神戸という。〔他部の神戸もまた、これに同じ。〕
賀茂神戸(かもかんべ)。:安来市大塚町付近の地域
郡家の東南三十四里の所にある。所造天下大神命の御子、阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこ)※5は葛城の賀茂社(かもしゃ)に鎮座していらっしゃる。この神の神戸である。だから、鴨という。〔神亀三年に字を賀茂と改めた。〕この郷には正倉がある。
忌部神戸(いんべかんべ)。:松江市西忌部町・東忌部町・玉湯町西部の地域
郡家の正西二十一里二百六十歩(正西21里260歩)の所にある。国造(こくぞう)※6が神吉詞(かんよごと)※7を唱えに朝廷に参上する時に、潔斎に用いる清浄な玉を作る地である。だから、忌部という。此処の川のほとりに温泉(ゆ)※8が湧いている。それで男も女も老人も子供も、あるいは道路を行き交い、あるいは海中を浜辺に沿って行き、毎日集まり市がたったような賑わいで、入り乱れて宴をして楽しむ。一度温泉を浴びればたちまち姿も麗しくなり、再び浴びればどんな病気もすべて治る。昔から今に至るまで、効き目が無いということはない。だから、土地の人は神の湯と言っている。
※1 野城大神:野城社の祭神で、風土記中の四大神の一つ
※2 黒田村:黒田駅の旧所在地
※3 伊弉奈枳の麻奈子、熊野加武呂乃命:熊野大社の主祭神(熊野大社ではスサノオの別名とされる)
※4 五百鉏鋤なお取り取らして所造天下大穴持命:大国主の別名
※5 所造天下大神命の御子、阿遅須枳高日子命:大国主の子・アヂスキタカヒコネを指すとされる
※6 国造:地方を支配する地方官。ここでは出雲国造を指す
※7 神吉詞:出雲国造が新任の際上京し、天皇の長寿や繁栄を寿ぐ賀詞のこと。神賀詞、神吉事とも
※8 温泉:玉造温泉のこと
原文
餘戸里 郡家正東六里二百六十歩。〔依神亀四年編戸、大二里、故云餘戸、他郡且如之。〕
野城驛 郡家正東廿里八十歩。依野城大神坐、故云野城。
黒田驛 郡家同所。郡家西北二里、有黒田村。土體色黒。故云黒田。旧此處有是驛。即号曰黒田驛。今東、属郡家。今猶追旧、黒田号耳。
宍道驛 郡家正西卅□里。〔説名、如郷。〕
出雲神戸 郡家南西二里廿歩。伊弉奈枳麻奈子坐、熊野加武呂命。與、五百津鉏々猶所取々而所造天下、大穴持命。二所大神等依奉。故云神戸。他郡等神戸且如之。
賀茂神戸 郡家東南卅四里。所造天下大神命之御子、阿遅須枳高日子命、坐葛城賀茂社。此神之神子戸。故云鴨。〔神亀三年改字賀茂、即有正倉。〕
忌部神戸 郡家正西廿一里二百六十歩。國造、神吉詞奏、 参向朝廷時、御沐之忌玉作。故云忌部。即川邊出湯。出湯所在兼海陸。仍男女老少、或道路駱驛、或海中沿州、日集成市、紛繽燕楽。一濯則形容端正。再浴則万病悉除。自古至今、無不得験。故俗人曰神湯也。
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