【日本書紀】オオクニヌシの国造り(異文)
『日本書紀』にある出雲神話「オオクニヌシの国造り」を紹介します。
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第八段一書(六)「オオクニヌシの国造り」
ある書によると、
大國主神(オオクニヌシ)には、このような名前があります。
・大物主神(オオモノヌシ)
・國作大己貴命(クニツクリシオオナムチノミコト)
・葦原醜男(アシハラシコオ)
・八千戈神(ヤチホコノカミ)
・大國玉神(オオクニタマノカミ)
・顯國玉神(ウツシクニタマノカミ)
また、オオクニヌシの子供は181神 居ました。
大己貴命(オオナムチ)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)は力を合わせ、心を一つにして天下を治めました。
また、ウツシキアオヒトクサ(人間)と畜産(家畜)のために、その病気を治療する方法を定めました。
また、鳥・獣・虫の災害を防ぐ方法を定めました。
以上のことで百姓(オオミタカラ)は今に至るまで その恩恵を受けています。
かつて、オオナムチはスクナヒコナに言いました。
「私達が作った国は、善くなったと言えるのだろうか?」
すると、スクナヒコナは このように答えました。
「ある所は成り、ある所は成っていない」
この会話には、とても深い意味があるのでしょう。
その後、スクナヒコナは熊野の御崎に行き、そこから常世郷(トコヨノクニ)に行ってしまいました。
別伝によると、淡嶋(アワシマ)に行って粟の茎に昇った時に弾かれて、常世の国へ行ってしまったとも言わています。
スクナヒコナは居なくなりましたが、国には まだ未完成の所があります。
オオナムチは一人で国を巡り、出雲国に辿り着いた時に こう言いました。
「葦原中国(アシハラノナカツクニ)は以前は荒れ果てており、岩から草木まであらゆるものが酷い状態だった。しかし、私が打ち砕けば、従わないものは無い。」
さらに曰く、
「今、国を治める者は私ただ一人のみ。私と共に天下を治められる者が、居るのだろうか?」
そのとき、神々しい光が海を照らし、忽然と浮かんでやって来る者が現れて こう言いました。
「私が居なければ、お前は国を平定できなかっただろう。私が在ってこそ、大層な結果を出すことができたのだ。」
そこで、オオナムチは こう言いました。
「しかし、お前が何者かは知らない」
すると、光は こう答えました。
「私は お前の幸魂(サキミタマ)奇魂(クシミタマ)である」
そこで、オオナムチは こう言いました。
「なるほど、お前は私の幸魂奇魂なのだな。では、どこに住ませれば良いか?」
すると、光は こう答えました。
「私は日本國(ヤマトノクニ)の三諸山(ミモロヤマ)に住もうと思う」
これにより、すぐに宮を造って祀りました。それが大三輪の神(オオミワノカミ)です。
この神の子は、甘茂君(カモノキミ)、大三輪君(オオミワノキミ)、また姫蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)です。
別伝によれば、事代主神(コトシロヌシ)は八尋熊鰐(ヤヒロノクマワニ)に化けて、三嶋溝?姫(ミゾクイヒメ)の所に通って出来た子が姫蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)です。
また、三嶋溝?姫は別名を玉櫛姫(タマクシヒメ)とい言います。
また、姫蹈鞴五十鈴姫命は、後に神日本磐余彦火火出見天皇(神武天皇)の后となりました。
これ以前、オオナムチが国を平定した頃の話です。
出雲の五十狹々小汀(イササノオハマ)に辿り着き、食事をしようとしました。
この時、海の上から人の声が聞こえてきました。
オオナムチは驚いて その声の主を探したのですが、何も見当たりませんでした。
しばらくすると、一人の小男がガガイモの実の皮で造られた船に乗り、ミソサザイの羽で造られた服を着て、波に浮かんでやって来ました。
オオナムチは すぐにその小男を掌に乗せて玩ぶと、小男は飛び跳ねてオオナムチの頬に噛みつきました。
この後、オオナムチは天神に使者を送り、この怪しい小男について報告しました。
すると、この報告を受けた高皇産霊尊(タカミムスビ)は このように言いました。
「私が生んだ子は1500座ある。その中に最悪な子が一人居り、教えに従おうとしなかった。私の指の間から漏れ落ちてしまった者が彼だろう。大事に養ってほしい。」
これが少彦名命(スクナヒコナノミコト)です。
大國主神(オオクニヌシ)には、このような名前があります。
・大物主神(オオモノヌシ)
・國作大己貴命(クニツクリシオオナムチノミコト)
・葦原醜男(アシハラシコオ)
・八千戈神(ヤチホコノカミ)
・大國玉神(オオクニタマノカミ)
・顯國玉神(ウツシクニタマノカミ)
また、オオクニヌシの子供は181神 居ました。
大己貴命(オオナムチ)と少彦名命(スクナヒコナノミコト)は力を合わせ、心を一つにして天下を治めました。
また、ウツシキアオヒトクサ(人間)と畜産(家畜)のために、その病気を治療する方法を定めました。
また、鳥・獣・虫の災害を防ぐ方法を定めました。
以上のことで百姓(オオミタカラ)は今に至るまで その恩恵を受けています。
かつて、オオナムチはスクナヒコナに言いました。
「私達が作った国は、善くなったと言えるのだろうか?」
すると、スクナヒコナは このように答えました。
「ある所は成り、ある所は成っていない」
この会話には、とても深い意味があるのでしょう。
その後、スクナヒコナは熊野の御崎に行き、そこから常世郷(トコヨノクニ)に行ってしまいました。
別伝によると、淡嶋(アワシマ)に行って粟の茎に昇った時に弾かれて、常世の国へ行ってしまったとも言わています。
スクナヒコナは居なくなりましたが、国には まだ未完成の所があります。
オオナムチは一人で国を巡り、出雲国に辿り着いた時に こう言いました。
「葦原中国(アシハラノナカツクニ)は以前は荒れ果てており、岩から草木まであらゆるものが酷い状態だった。しかし、私が打ち砕けば、従わないものは無い。」
さらに曰く、
「今、国を治める者は私ただ一人のみ。私と共に天下を治められる者が、居るのだろうか?」
そのとき、神々しい光が海を照らし、忽然と浮かんでやって来る者が現れて こう言いました。
「私が居なければ、お前は国を平定できなかっただろう。私が在ってこそ、大層な結果を出すことができたのだ。」
そこで、オオナムチは こう言いました。
「しかし、お前が何者かは知らない」
すると、光は こう答えました。
「私は お前の幸魂(サキミタマ)奇魂(クシミタマ)である」
そこで、オオナムチは こう言いました。
「なるほど、お前は私の幸魂奇魂なのだな。では、どこに住ませれば良いか?」
すると、光は こう答えました。
「私は日本國(ヤマトノクニ)の三諸山(ミモロヤマ)に住もうと思う」
これにより、すぐに宮を造って祀りました。それが大三輪の神(オオミワノカミ)です。
この神の子は、甘茂君(カモノキミ)、大三輪君(オオミワノキミ)、また姫蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)です。
別伝によれば、事代主神(コトシロヌシ)は八尋熊鰐(ヤヒロノクマワニ)に化けて、三嶋溝?姫(ミゾクイヒメ)の所に通って出来た子が姫蹈鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメノミコト)です。
また、三嶋溝?姫は別名を玉櫛姫(タマクシヒメ)とい言います。
また、姫蹈鞴五十鈴姫命は、後に神日本磐余彦火火出見天皇(神武天皇)の后となりました。
これ以前、オオナムチが国を平定した頃の話です。
出雲の五十狹々小汀(イササノオハマ)に辿り着き、食事をしようとしました。
この時、海の上から人の声が聞こえてきました。
オオナムチは驚いて その声の主を探したのですが、何も見当たりませんでした。
しばらくすると、一人の小男がガガイモの実の皮で造られた船に乗り、ミソサザイの羽で造られた服を着て、波に浮かんでやって来ました。
オオナムチは すぐにその小男を掌に乗せて玩ぶと、小男は飛び跳ねてオオナムチの頬に噛みつきました。
この後、オオナムチは天神に使者を送り、この怪しい小男について報告しました。
すると、この報告を受けた高皇産霊尊(タカミムスビ)は このように言いました。
「私が生んだ子は1500座ある。その中に最悪な子が一人居り、教えに従おうとしなかった。私の指の間から漏れ落ちてしまった者が彼だろう。大事に養ってほしい。」
これが少彦名命(スクナヒコナノミコト)です。
備考
『日本書紀』では、「大国主の国造り神話」は異伝とされています。
また、『古事記』の内容に非常に似ていますが、以下のような違いがあります。
【国造り】
・『古事記』では、抽象的な表現で記され、具体的な活動については未記載
・『日本書紀』では、人間と家畜の病気の治療法を定め、害を為す鳥・獣・虫を防ぐ法を定めたとされる
【海を照らしてやってくる神】
・『古事記』では、スクナヒコナが居なくなって不安を感じている際、海を照らす光が現れて協力を訴える
→ 「海を照らす光」は具体的な名を名乗っていない
・『日本書紀』では、オオナムチが自画自賛した後、海を照らす光が現れて諌めている
→ 「海を照らす光」は「汝のサキミタマ、クシミタマ」と名乗っている
【スクナヒコナ】
・『古事記』ではカミムスビの子であるとされる
→ 初見の際にタニググやクエビコなどが登場するやり取りがある
・『日本書紀』ではタカミムスビの子であるとされる
→ 淡島に行ったという説話が記される
→ 頬に噛みついたことが記される
・『古事記』では、抽象的な表現で記され、具体的な活動については未記載
・『日本書紀』では、人間と家畜の病気の治療法を定め、害を為す鳥・獣・虫を防ぐ法を定めたとされる
【海を照らしてやってくる神】
・『古事記』では、スクナヒコナが居なくなって不安を感じている際、海を照らす光が現れて協力を訴える
→ 「海を照らす光」は具体的な名を名乗っていない
・『日本書紀』では、オオナムチが自画自賛した後、海を照らす光が現れて諌めている
→ 「海を照らす光」は「汝のサキミタマ、クシミタマ」と名乗っている
【スクナヒコナ】
・『古事記』ではカミムスビの子であるとされる
→ 初見の際にタニググやクエビコなどが登場するやり取りがある
・『日本書紀』ではタカミムスビの子であるとされる
→ 淡島に行ったという説話が記される
→ 頬に噛みついたことが記される
このような違いがありますが、『ホツマツタヱ』という文献には これらを全て説明できる内容が記されています。
・参考:ホツマツタヱ9文 八雲討ち 琴つくる文
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