出雲国風土記・現代語訳:島根郡

現代語訳

朝酌郷(あさくみごう)。:松江市朝酌町・福富町・大井町・大海崎町の地域

郡家(ぐんけ)の正南一十里六十四歩の所にある。

熊野大神命(くまのおおかみ)※1がおっしゃられて、朝御餼勘養(あさみけのかむかい)、夕御餼勘養(ゆうみけのかむかい)※2のために、五つ贄(にえ)※3を奉仕する集団の居所をお定めになった。だから、朝酌という。

山口郷(やまぐちごう)。

郡家の正南四里二百九十八歩の所にある。須佐能袁命(すさのお)の御子、都留支日子命(つるぎひこ)※4がおっしゃられたことには、「わたしが治める山口のところである。」とおっしゃられて、だから、山口という名を負わせなさった。

手染郷(たしみごう)。

郡家の正東一十里二百六十四歩の所にある。所造天下大神命(あめのしたつくらししおおかみ)がおっしゃられたことは、「この国は丁寧に造った国である。」おっしゃられて、だから、丁寧という名を負わせなさった。しかるに今の人がただ手染郷と言っているだけである。この郷には正倉がある。

美保郷(みほごう)。

郡家の正東二十七里一百六十四歩の所にある。所造天下大明神命が高志国(こし)いらっしゃる神意支都久辰為命(おきつくしい)の子、俾都久辰為命(へつくしい)の子、奴奈宣波比売命(ぬなかわひめ)※5と結婚してお産みなさった神、御穂須須美命(みほすすみ)※6、この神が鎮座していらっしゃる。だから、美保という。

方結郷(かたゆいごう)。

郡家の正東二十里八十歩の所にある。須佐能袁命の御子、国忍別命(くにおしわけ)※7がおっしゃられたことには、「わたしが治める地は、地形がよい。」とおっしゃった。だから、方結という。

加賀郷(かかごう)。

郡家の北西二十四里一百六十歩の所にある。佐太大神※8のお生まれになった所である。御母である神魂命(かみむすび)の御子、支佐加比売命(ささかひめ)が「暗い岩穴である。」とおっしゃって、金の弓を持って射られた時に、光り輝いた。だから、加加という。〔神亀三年に字を加賀(かか)と改めた。〕

生馬郷(いくまごう)。

郡家の西北一十六里二百九歩の所にある。神魂命の御子、八尋鉾長依日子命(やひろほこながよりひこ)※9がおっしゃられたことには、「わたしの御子神は、心やすらかで憤らない。」とおっしゃった。だから、生馬という。

法吉郷(ほほきごう)。

郡家の正西一十四里二百三十歩の所にある。神魂命の御子、宇武賀比売命(うむかひめ)※10法吉鳥(ほほきどり)※11になって飛んで来て、ここに鎮座なさった。だから、法吉という。

余戸里(あまるべのさと)。

〔名の説明は意宇郡に同じ。〕

千酌駅(ちくみのうまや)。

郡家の東北一十七里一百八十歩の所にある。伊差奈枳命(いざなき)※12の御子、都久豆美命(つくづみ)※13がここに鎮座していらっしゃる。それなので都久豆美というべきであるが、今の人はただ千酌と呼んでいるだけである。

※1 熊野大神命:熊野加武呂ともいい、天神に位置付けられる。熊野大社ではスサノオの別名とも。出雲で最高の神格の天神
※2 夕御餼勘養:勘養は穂の付いた稲のこと
※3 贄:神に供える食糧のこと
※4 都留支日子命:風土記固有の神。スサノオの子とされる
※5 奴奈宣波比売命:高志(北陸)に座す女神。大国主の妃であり、タケミナカタの母である
※6 御穂須須美命:タケミナカタと同神とされる
※7 国忍別命:風土記固有の神。スサノオの子とされる
※8 佐太大神:詳細不明だが、出雲では最も尊い神に数えられ、サルタヒコと同神とされる
※9 八尋鉾長依日子命:風土記固有の神。神魂命の子であり、生馬神の別名とされる
※10 宇武賀比売命:蛤を神格化した神。『古事記』ではオオナムチを治療した
※11 法吉鳥:鶯(ウグイス)のこと
※12 伊差奈枳命:イザナミの夫であり、国産み・神産みの神
※13 都久豆美命:風土記固有の神。イザナギの子とされる

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原文

朝酌郷 郡家正南一十里六十四歩。熊野大神命詔、朝御餼勘養、夕御餼勘養、詔而、吾贄緒之處定給。故云朝酌。

山口郷 郡家正南四里二百九十八歩。須佐能袁命御子、都留支日子命詔、敷坐山口處在。詔而、故山口負給。

手染郷 郡家正東一十里二百六十四歩。所造天下大神命詔、此國者丁寧所造國在。詔而、故丁寧負給。而今人猶誤謂手染郷之耳。即有正倉。

美保郷 郡家正東廿七里一百六十四歩。所造天下大神命、娶高志國坐神、意支都久良為命子、俾都久良為命子、奴奈宜波比賣命而、令産神、御穂須々美命、是神坐矣。故云美保。

方結郷 郡家正東廿里八十歩。須佐能袁命御子、國忍別命詔、吾敷坐地者國形宜者。故云方結。

加賀郷 郡家西北廿四里一百六十歩。佐太大神所生也。御祖神魂命御子、支佐加比比賣命、闇岩屋哉、詔、金弓以射給時、光加加明也。故云加加。〔神亀三年改字加賀。〕

生馬郷 郡家西北一十六里二百九歩。神魂命御子、八尋矛長依日子命詔、吾御子平明不憤、詔。故云生馬。

法吉郷 郡家正西一十四里二百卅歩。神魂命御子、宇武賀比賣命、法吉鳥化而飛渡、静坐此處。故云法吉。

餘戸里 〔説名如意宇郡。〕

千酌驛 郡家東北一十九里一百八十歩。伊佐奈枳命御子、都久豆美命、此處坐。然則可謂都久豆美。而今人猶千酌號耳。

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