出雲国風土記・現代語訳:神門郡

現代語訳

朝山郷(あさやまごう)。:出雲市朝山町の一部と稗原町の一部を中心とした地域

郡家の東南五里五十六歩の所にある。神魂命(かみむすひ)の御子、真玉着玉之邑日女(またまつくたまのむらひめ)※1が鎮座していらっしゃった。そのとき、所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)、大穴持命(おおなむち)が娶りなさって、朝毎にお通いになった。だから、朝山という。

日置郷(へきごう)。:出雲市塩冶地域の西南部

郡家の正東四里、志紀嶋宮御宇天皇(しきしまのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと、欽明天皇)の御世に、日置伴部(へきのともべ)たちが遣わされて宿停(とどま)り政務を執った所である。だから日置という。

塩冶郷(かむやごう)。:出雲市塩冶地域北部・今市地域・大津町付近の地域

郡家の東北六里の所にある。阿遅須枳高日子命(あじすきたかひこ)の御子、塩冶毘古能命(やむやひこ)※2が鎮座していらっしゃった。だから、止屋という。〔神亀三年に字を塩治と改めた。〕

八野郷(やのごう)。:出雲市矢野町・大塚町・白枝町・小山町・高松町・渡橋町付近の地域

郡家の正北三里二百一十五歩の所にある。須佐能袁命(すさのお)の御子、八野若日女命(やのわかひめ)※3が鎮座していらっしゃった。そのとき、所造天下大神、大穴持命が娶りなさろうとして、屋を造らせなさった。だから、八野という。

高岸郷(たかぎしごう)。:日置郷・八野郷・塩谷郷・古志郷に囲まれた場所

郡家の東北二里のところにある。所造天下大神の御子、阿遅須枳高日子命が昼夜となく酷くお泣きになった。それでそこに高屋を造り、御子をお据えした。そして高埼(たかはし)を建て、登り降りさせて養育し申し上げた。だから、高崖(たかぎし)という。〔神亀三年に字を高岸と改めた。〕

古志郷(こしごう)。:出雲市古志町・下古志町・知井宮町北部付近の地域

郡家に属する。伊弉那彌命(いざなみ)※4の時に、日淵川(ひふち)を利用して池を築いた。そのとき、古志国の人々がやってきて堤を造った。そのとき彼らが宿としていた処である。だから、古志という。

滑狭郷(なめさごう)。:出雲市神西地域・湖陵町常楽寺・畑村・二部・三部付近の地域

郡家の南西八里の所にある。須佐能袁命の御子、和加須世理比売命(わかすせりひめ)※5が鎮座していらっしゃった。そのとき、所造天下大神が娶りてお通いになったときに、その社の前に盤石(いわ)があり、その上がとても滑らかだった。そこでおっしゃられたことには、「滑らかな岩である。」とおっしゃられた。だから南佐(なめさ)という。〔神亀三年に字を滑狭と改めた。〕

多伎郷(たきごう)。:出雲市多伎町多岐・久村・小田・奥田義・田口儀付近の地域

郡家の南西二十里の所にある。所造天下大神の御子、阿陀加夜努志多伎多伎吉比売命(あだかやぬしたききひめ)※6が鎮座していらっしゃった。だから、多吉(たき)という。〔神亀三年に字を多伎と改めた。〕

余戸里(あまりべのさと)。:出雲市乙立町・佐田町・大田市山口町一帯の地域

郡家の南西三十六里の所にある。〔名の説明は意宇郡に同じ。〕

狭結駅(さようのうまや)。:日淵川流域の出雲市下古志町布智付近の地域

郡家と同所にある。古志国の佐与布(さよふ)※7という人が来て住んでいた。だから、最邑(さよう)という。〔神亀三年に字を狭結と改めた。この人が来て住んだわけは、古志郷の説明に同じ。〕

多伎駅(たきのうまや)。:出雲市多伎町久村の西辺

郡家の西南一十九里の所にある。〔名の説明と、時の改変は多伎郷に同じ。〕

神戸里(かんべのさと)。:出雲市所原町の中央付近の地域

郡家の東南一十里の所にある。

※1 真玉着玉之邑日女:風土記固有の神。神名の構成から「真実精良な玉を身に付けた玉之邑の姫神」となる
※2 塩冶毘古能命:風土記固有の神。塩冶の守護神とされる男神
※3 八野若日女命:風土記固有の神。八野の地の守護神である若い姫神とされる
※4 伊弉那彌命:イザナギの妻。国産み神産みを行った神。
※5 和加須世理比売命:スサノオの娘のスセリヒメ。『古事記』では大国主の正妻とされる
※6 阿陀加夜努志多伎多伎吉比売命:風土記固有の神。元は出雲郷の守護神だったとされる
※7 佐与布:古志郷に由来する池の堤防を造るために来た古志人の一人と考えられる

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原文

朝山郷 郡家東南五里五十六歩。神魂命御子、真玉著玉之邑日女命坐之。爾時、所造天下大神大穴持命娶給而、毎朝通坐。故云朝山。

日置郷 郡家正東四里。志紀嶋宮御宇天皇之御世、日置伴部等、所遣来、宿停而、為政之所。故云日置。

盬治郷 郡家東北六里。阿遅須枳高日子命御子、盬塩治毘古能命坐之。故云止屋。〔神亀三年、改字盬治。〕

八野郷 郡家正北三里二百一十歩。須佐能袁命御子八野若日女命坐之。爾時、所造天下大神大穴持命、将娶給為而、令造屋給。故云八野。

高岸郷 郡家東北二里。所造天下大神御子阿遅須枳高日子命。甚昼夜哭坐。仍其處高屋造而坐之。即建高椅而登降養奉。故云高峯。〔神亀三年、改字高岸。〕

古志郷 即属郡家。伊弉那彌命之時、以日淵川築造池之。爾時、古志國人等到来而為堤。即宿居之所。故云古志。

滑狭郷 郡家南西八里。須佐能袁命御子、和加須世理比賣命坐之。爾時、所造天下大神命、娶而通坐時、彼社之前有磐石。其上甚滑也。即詔、滑磐石哉、詔。故云南佐。〔神亀三年、改字滑狭。〕

多伎郷 郡家南西廿里。所造天下大神之御子、阿陀加夜努志多伎吉比賣命坐之。故云多吉。〔神亀三年、改字多吉。〕

餘戸里 〔説名、如意宇郡。〕

狭結驛 郡家同處。古志國佐與布云人来居之。故云最邑。〔神亀三年、改字狭結也。其所以来居者、説如古志郷也。〕

多伎驛 郡家西南一十九里。〔説名・改字、如多伎郷也。〕

神戸里 郡家東南一十里。

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