出雲国風土記・現代語訳:仁多郡

現代語訳

通道(かよいぢ)。

飯石郡(いいしぐん)の堺である漆仁川(しつに)のほとりに行く道は、二十八里である。川のほとりに薬湯(くすりゆ)※1がある。一度浴びれば身体はやすらかになり、再び浴びればどんな病気も消え去り、老若男女、昼夜休まず、行列を作り通い、効き目がないということがない。だから、土地の人は名付けて薬湯という。ここには正倉(しょうそう)がある。

大原郡の堺の辛谷村に行く道は、一十六里二百三十六歩である。

伯耆国日野郡(ほうきのくにひのぐん)※2の堺の阿志毘縁山(あしびえ)に行く道は、三十五里一百五十歩である。〔常に剗(せき)がある。〕

備後国恵宗郡(びんごのくにえそぐん)※3の堺の遊託山(ゆた)に行く道は、五十三里である。〔普段は剗(せき)はない。ただし、政治的事情があるときに権(かり)に置くのみ。〕

※1 薬湯:薬の効き目がある湯
※2 伯耆国日野郡:鳥取県日野郡
※3 備後国恵宗郡:広島県庄原市北部一帯

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原文

通道。

通飯石郡堺漆仁川邊廿八里。即川邊有薬湯。一浴、則身體穆平。再浴、則萬病消除。男女老少、昼夜不息、駱驛往来、无不得験。故俗人號云、薬湯也。〔即有正倉。〕

通大原郡堺辛谷村一十六里二百卅六歩。

通伯耆國日野郡堺阿志毘縁山卅五里一百五十歩。〔常有剗。〕

通備後國恵宗郡堺遊託山卅七里。〔常有剗。〕

通同恵宗郡堺比市山五十三里。〔常无剗。但當、有政時権置耳。〕

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