出雲国風土記・現代語訳:島根郡

現代語訳

南は入海(いりうみ)である。〔以下 西から東へと述べていく。〕

朝酌促戸(あさくみせと)。:今の松江市朝酌町矢田の周辺

東に通道(かよいぢ)があり、西に平原(はら)がある。中央は渡し場である。ここは筌(うけ)※1を東西に設けている。春秋に出入りする大小さまざまな魚が時として筌のあたりに集まって、飛び跳ねて風を圧し水を突く勢いで、あるものは筌を破り、あるものは陸に跳ね上げられて千魚となって鳥に捕獲される。大小さまざまな魚で、浜辺は騒然とし、家々はにぎやかで、人々は四方から集まってきて、自然に廛(いちくら)ができる。〔ここから東に入って、大井浜に至るまでの間の南北二つの浜は、みな白魚(しらお)を捕り、水が深い。〕朝酌渡(あせくわたり)※2。広さは八十歩ほどである。国庁(こくちょう)から海辺に通う道である。

大井浜(おおい)。:松江市大井町の海岸

海鼠(なまこ)・海松(みる)がいる。また陶器(すえもの)※3を造っている。

邑美冷水(おうみのしみず)。:松江市大海崎町にある目無水(めなしみず)と呼ばれる泉の場所

東と西と北は山で皆険しく、南は海で広々とし、中央に沢があって、泉がきらめき流れている。男も女も、老人も子供も、時節ごとに集まって、いつも宴会をする地だ。

前原埼(さきはら)。:島根郡の河川・池の前原坡を含む岬

東と西と北はみなけわしく、麓には陂(つつみ)がある。周り二百八十歩、深さ一丈五尺ほどである。三方のほとりには草木が自然と岸に生えている。鴛鴦(おし)・鳧(たかべ)・鴨(かも)が、時節ごとにいつも来て棲んでいる。陂の南は海である。陂と海との間の浜は、東西の長さ一百歩、南北の広さ六歩である。松並木が茂り、浜の渚は深く澄んでいる。男も女も時節ごとに群がり集い、あるいは楽しんで家路につき、あるいは遊びふけって帰ることを忘れる者もいる。いつも宴会を楽しむ地である。

虫居虫者(タコ)島。:中海に浮かぶ大根島。虫居虫者(タコ)と拷と大根の発音が重なり、大根島に転訛したとされる

周りは一十八里一百歩、高さは三丈ある。古老が伝えて言うことには、出雲郡の杵築御埼(きづきのみさき)※4虫居虫者(タコ)がいた。それを天羽々鷲(あめのははわし)がさらって、掴んで飛んで来て、この島に留まった。

だから、虫居虫者(タコ)島という。今の人は、ただ誤って拷島(たくじま)と名付けられている。土地は豊かに肥え、島の西のほとりに松が二本ある。このほか茅・沙(はますげ)・薺頭蒿(おほぎ)・蕗(ふふき)などの類が生え、風に靡(なび)いている。〔牧がある。〕陸地からの距離は三里ある。

蜈蚣島(むかで)。:中海に浮かぶ江島。形がムカデに似ているためこの名となったと考えられている

周りは五里一百三十歩、高さは二丈ある。古老が伝えて言うことには、虫居虫者(タコ)島にいた虫居虫者(タコ)が、蜈蚣を咥えて来て、この島に留まった。だから、蜈蚣島という。

東のあたりに神社がある。そのほかは、すべて百姓(ひゃくせい)の家である。土は豊かに肥え、草木が繁茂し、桑や麻が豊富である。いわゆる島の里がこれである。〔津からの距離は二里一百歩である。〕

この島から伯耆国(ほうきのくに)内の夜見島(よみ)※5に至るまでの間には岩盤がある。二里ほど、広さは六十歩ほどで馬に乗って往来する。満潮の時は、深さが二尺五寸ほど、干潮の時は、ほとんど陸地のようである。

※1 筌:竹を編んで作る漁の罠、川に仕掛けて使う
※2 朝酌渡:朝酌促戸という地域の中にあったとされている渡し場
※3 陶器:土器のことで須恵器とも書く。
※4 杵築御埼:島根半島西端の日御碕
※5 夜見島:鳥取県境港市、米子市北部の弓々浜半島

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原文

南入海〔自西行東。〕

朝酌促戸 東有通道。西有平原。中央渡則筌互東西。春秋入出大小雑魚、臨時来湊筌邊、馬否馬矣風壓水衝、或破壊筌、或製日魚、於鳥被捕。大小雑魚、濱譟家闐。市人四集、自然成廛矣。〔自茲入東至于大井濱之間、南北二濱並捕白魚、水深也。〕

朝酌渡 廣八十歩許。自國廰通海邊道矣。

大井濱 則有海鼠・海松。又造陶器也。

邑美冷水 東・西・北、山。並嵯峨。南海澶漫。中央卥氵覧磷々。男女老少、時々叢集。常燕會地矣。

前原埼 東・西・北、並。下則有坡。周二百八十歩。深一丈五尺許。三邊草木自生涯。鴛鴦・鳧・鴨、随時常住。坡之南、海也。即坡與海之間濱。東西長一百歩。南北廣六歩。肆松翁鬱、濱卥淵澄。男女随時叢會、或愉楽帰、或耽遊忘帰、常燕會地矣。

虫居虫者 周一十八里一百歩。高三丈。古老傳云、出雲郡杵築御埼在虫居虫者。天羽々鷲、掠持飛燕来、止于此嶋。故云虫居虫者嶋。今人猶誤、栲嶋號耳。土地豊沃。西邊松二株。以外茅・莎・薺頭蒿・蕗等之類生靡。〔即有牧。〕去陸三里。

蜈蚣嶋 周五里一百卅歩。高二丈。古老傳云、有虫居虫者虫居虫者、食来蚣蜈、止居此嶋。故云蚣蜈嶋。東邊神社。以外皆悉百姓之家。土體豊沃。草木扶蔬、桑・麻豊富。此則所謂嶋里是矣。〔去津二里一百歩。即自此嶋、達伯耆國郡内夜見嶋、磐石二里許。廣六十歩許。乗馬猶往来。盬満時、深二尺五寸許。盬乾時者、已如陸地。

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